東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)85号 決定 1968年9月02日
原告 家永三郎
被告 文部大臣
右当事者間の昭和四二年行(ウ)第八五号検定処分取消訴訟事件について、原告から文書提出命令の申立てがあったので、当裁判所は、つぎのとおり決定する。
主文
被告は、別紙目録記載の各文書を当裁判所に提出せよ。
理由
第一原告の申立ておよび被告の意見
原告の申立ては、別紙一に記載のとおりであり、これに対する被告の意見は、別紙二に記載のとおりである。
第二当裁判所の判断
一 別紙目録記載の各文書(以下「本件文書」という。)を被告が所持していることは、被告の認めて争わないところである。
二 そこで、まず、本件文書が民事訴訟法三一二条三号後段にいう「挙証者と所持者との間の法律関係につき作成せられた」文書であるかどうかについて考察するに、同条項の趣旨とするところは、挙証者が立証に必要な文書を所持せず、かかる文書の所持者にその任意提出を期していても提出がない場合に、挙証者の不利を補って立証の十全を図り、ひいて訴訟における真実発見に資するとともに、他面、所持者の所持するすべての文書についてこれを許すときは、その者の利益を不必要に害する場合も考えられるので、衡平の見地から、提出すべき文書の範囲を「挙証者と所持者との間の法律関係につき作成せられた文書」に限定するにあると解される。そうであるとすれば、所持者がもっぱら自己使用のため内部的に作成した文書(たとえば、個人の作成するメモ、日記帳等行政庁の作成する職員身上調書などの庶務雑書類、統計表等)がこれに該当しないことはいうまでもないが、しかし、挙証者と文書の所持者との間に成立する法律関係それ自体を記載した文書だけではなく、その法律関係の生成の過程において作成されるごとき文書は、右の「挙証者と所持者との間の法律関係につき作成せられた文書」に当たると解するのが相当であり、これを行政庁の処分についていえば、処分書のみならず、申請者の申請書および行政庁が法令に基づき処分をするにあたり一定の手続を経ることを要求されている場合においてその手続に関し一定の文書が作成されることが法令上予定されているような文書も上記の「法律関係につき作成された文書」に当たるというべきである。
本件についてこれをみるに、教科用図書の検定手続について法令は、文部大臣は教科用図書の検定(学校教育法二一条、五一条)にあたっては、教科用図書検定調査審議会(文部省設置法二七条)の答申に基づいて、これを行なう旨を定め(昭和二三年文部省令四号教科用図書検定規則二条)、右審議会は、文部大臣の諮問に応じ、検定申請の教科用図書を調査し、および教科用図書に関する重要事項を調査審議し、ならびにこれらに関し必要と認める事項を文部大臣に建議することを所掌事務とし(昭和二五年政令一四〇号教科用図書検定調査審議会令一条)、この審議会には会長が文部省の職員のうちから委嘱する幹事若干名が置かれ、幹事は、審議会の議事の概要を記載した議事録を作成する(昭和三一年教科用図書検定調査審議会規則一五条三項、教科用図書検定調査審議会令一三条)と定めており、さらに、右審議の結果を記載した答申書が作成されることは、法が当然に予定するところであるところ、乙第九号証、証人安達健二の証言ならびに弁論の全趣旨によれば、原告が提出を求める別紙目録記載(一)および(四)の文書は、上記のように、被告が教科用図書の検定をなすにあたり、その補助機関として、上司の命を受けて検定申請のあった教科書の調査にあたるために設けられた教科書調査官(文部省設置法施行規則五条の二)が、小学校用、中学校用および高等学校用教科図書の検定申請原稿の調査評定および合否判定に関する内規に基づき、調査意見をまとめたもので、そのうち、(一)の文書は原告の著作に係る高等学校用教科書「新日本史」(昭和四一年一一月二日改訂申請)改訂原稿についての調査意見書および評定書、(四)の文書は、右「新日本史」についての昭和三八年度検定(昭和三八年九月三〇日申請)に際し作成された調査意見書であり、いずれも審議の資料として教科用図書検定調査審議会に提出されたものであること、また、(二)の文書は、教科用図書検定調査審議会が、文部大臣の諮問を受けて教科用図書検定調査分科会の社会科部会において調査審議した際に作成された議事録、(三)の文書は、右審議会の結果作成された答申書であって、いずれも、前記「新日本史」についての昭和四一年度改訂申請に関する部分が記載されていることが認められるので、本件文書は、「法律関係につき作成せられた文書」であるというべきである。
被告は、本件文書はいずれも、被告が検定を慎重公正に行なうために事務的内部的に作成されたものであり、特定の私人の利用のために作成されたものではないから、挙証者と文書所持者との間の「法律関係につき作成せられた」文書ということはできないと主張するが、本件文書はいずれも、被告の行なう検定が上記法令に従い適正に行なわれ、かつ、行なわれたことを保障するために法令上作成された公的な文書であって、単なる内部的な自己使用のために作成されたものでないことは前示のとおりであり。また、私人の利用のために作成されたものではなく私人が閲覧、交付を請求しえない文書であっても、「挙証者と所持者との間の法律関係につき作成せられた文書」であれば、これを所持する者に提出義務があることはいうまでもない。被告は、また、本件検定の申請者は訴外株式会社三省堂であって、本件訴訟における挙証者たる原告本人ではなく、したがって、本件文書が「挙証者と文書所持者との間の法律関係」につき作成された文書にあたらないと主張するが、教科用図書検定規則三条によれば、図書の著作者又は発行者は、その図書の検定を文部大臣に申請することができ、共同申請の形式をとらなくても、著作者又は発行者のいずれかが申請すれば、同一の教科用図書について検定が行なわれ、その効果は、著作者および発行者と文部大臣との間に生ずる建前になっていると解される。したがって、被告の右主張は、いずれも失当である。
三 つぎに、本件申立ての必要性について考察するに、本件において原告は、上記の検定制度そのものないしはその運用が表現の自由(憲法二一条)、学問の自由(同法二三条)等の基本的人権を侵害し、かつ、憲法の保障する適正手続(同法三一条)、教育基本法一〇条等に違背し、したがって本件検定も違憲もしくは違法である旨を主張しているのであって、その主張にてらし本件文書はいずれも右主張事実を立証するうえで必要かつ重要な証拠方法であると認められる。もっとも別紙目録(四)の文書は、昭和三八年度検定申請に関するもので、本件検定に係る昭和四一年改訂申請に関するものではないが、本件検定(不合格処分)の実質的理由が昭和三八年度検定と同一であり、この意味において別紙目録(一)の文書と一体をなすものと認められるから、右(四)の文書についても立証上必要性を認めるのが相当である。
四 そうすると、被告は、本件文書を当裁判所に提出する義務があるというべきところ、被告は、さらに、本件文書について提出命令が発せられ、個々の調査官、調査員、審議会委員の意見が公表されることになると、検定申請者等から不当な圧力が加わり、検定の公正が保たれないおそれが多分に予測され、自由な意見の表明が抑制されるおそれがあり、今後公正かつ慎重・綿密な検定を行なううえに重大な支障が生ずるから、民事訴訟法二七二条の類推適用により、本件文書については提出義務がないと主張するので、案ずるに、民事訴訟法三一二条三号後段の規定による文書提出義務は、前示のとおり、提出すべき文書の範囲を「挙証者と所持者との間の法律関係につき作成せられた」文書に限っている点で限定的ではあるが、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には、証人義務と同一の性格のものと解されるから、その公表が法律の規定によって禁止されている文書(所得税法二四三条、独禁法三九条等)、もしくはそれを公表することが国家あるいは公共の利益を害する性質を有する事項を記載した文書(民事訴訟法二七二条にいう「職務上の秘密」につき、大判昭和一〇、九、四参照)についてはその提出義務を免れうると解するのが相当であるが、本件文書がこれに該当しないことはいうまでもなく、したがって、本件文書を公表すると被告の主張するような事情が仮りに予測されるとしても、それをもって直ちに提出義務を免れえないものといわなければならない。それゆえ、この点に関する被告の前記主張も結局採用できないといわざるをえない。
よって、原告の本件申立ては理由があるから、これを認容することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 杉本良吉 裁判官 中平健吉 裁判官 岩井俊)